実家でいっしょに住んでいた犬が病気で死んだこと

今年のはじめあたりに、病気がもうすでに手に負えない状態まで進行してしまっていることが発覚してから、本人も周りもなんとか頑張りつつも、徐々に体調を崩していき、先週金曜の夜にとうとう死んでしまった。7歳だった。たぶん犬にしては死ぬのには少し早い。
(個人的な話だし拙い文なのでたたみます)
報せは出先の友人宅にいるときに母からのメールで。近々その日が来てしまうだろうと覚悟していたせいか、大きく動揺することもなくただ、「えっ…」っと気持ちと思考が立ち止まるような、そんな感じだった。
翌朝始発で地元に帰り、朝早い実家までの道を歩いていると、だんだん家が近づくにつれて、ああ死んだ姿を見なきゃいけないんだな、ああ嫌だ見たくないな、という受け止めにくい現実を突きつけられるような、つらい気持ちが強くなって、なるべく遠回りするようにして帰った。
寝静まった家の居間で冷たくなって硬直した身体は、ただ中身の抜けてしまった入れ物としての肉体でしかなくて、一体中身はどこに行っちゃったんだよー、と思った。なにものかに奪われてしまったように感じて、それがやりきれなくて、つらかった。
日常が戻ってきて、大切なその存在が消えてしまってもうこの世にいないということの不思議さと、穴の空いてしまったような乾いた空虚さ、そしてたださみしいという想いだけが通奏低音として今流れている。
今想うのは、作家の向田邦子さんが、生前いっしょに暮らしていた愛猫マミオに送った好きな言葉

偏食、好色、内弁慶、小心、テレ屋、甘ったれ、新しもの好き、体裁屋、嘘つき、凝り性、なまけ者、女房自慢、かんしゃく持ち、自信過剰、健忘症、医者嫌い、ふろ嫌い、尊大、気まぐれ、オッチョコチョイ…。きりがないからやめますが、貴方はまことに男の中の男であります。私はそこに惚れているのです。
『眠る盃』所収「マハシャイ・マミオ殿」より

が身に沁みるような真実だったということ。猫や犬は「ペット」という枠をこえていっしょに暮してこそわかる個々のアイデンティティがあって、肩寄せて共に生きていた命であって、失ったのは「猫」ではなく、まぎれもない「マミオ」であったということ。
安らかに。